2014年 02月 01日
学生時代の「走り」(旅行活動その1) |
私が頻繁にドライブや旅行に出かけるようになったのは、関東地方にある某大学に在籍していた大学2年のころ。当時は重要な実習があって毎日が大変忙しく、結構ストレスがたまっていたこともあって、暇を見つけては夜中などにドライブに出かけるようになったのである。
最初は茨城の筑波山や大洗海岸、栃木の日光いろは坂、群馬の赤城山など、片道100km程度のドライブを楽しんでいたのでだが、徐々にそれでは物足りなくなり、夜中の東京へ首都高速を走りに行ったり、千葉の南房総や福島・山形の南東北方面、長野・山梨方面から伊豆・箱根方面まで、片道200~300km程度の道のりをまる1日かけてドライブするようになっていった。
大学3年のころには実習が一段落して、比較的出席チェックの甘い授業が続いたこともあり、放浪癖がひどくなっていった。また、同じサークルで同じような趣味を持つ仲間と、この手のドライブのことを「走り」と称して、山道や林道などの情報交換するようになったのもこのころだった。また、地図上で赤い色で表示されることの多い「国道」に興味を持ち始めたのもこのころだった。いつか全国の国道を全線走破することを目論み、まずは関東甲信越と南東北の国道を全線走破に向けて走り始めたのがこのころである。
さらに、大学に入って趣味で始めたスキーへ行くことを口実にさらに走りに精を出すようになり、年間10~15回程度のスキーをすべて日帰りで、それもできるだけいろいろな道路を走るべく毎回違うスキー場に行っていたこともあり、以降学生の間に行ったスキー場の数は約50か所にのぼることとなる。ちなみに当時は冬タイヤを持たずすべて非金属チェーンだけでスキーに行っていたのだが、これがもし冬タイヤで走っていたらどうなっていたのか、若干恐ろしいものがある。
また、長期休暇に大阪へ帰省する際には毎回車で、ただし急ぎの用がないときには毎回できるだけ違うルートを通って、走破する国道を増やしたり、「北海道一周6日間」「東北一周5日間」「中国一周5日間」「四国一周4日間」「九州一周5日間」「沖縄本島一周3日間」などと称して車中泊(一部宿泊つき)と日帰り温泉(沖縄のときは海水浴)だけの旅行にも何度か出かけた。
そのおかげで大学の6年間で、
・全国47都道府県・都道府県庁所在地踏破
・自車走行距離208,000km(=40,000km/年)
を達成することができたのだが、
・結局海外旅行に行く時間が取れなかった
というのもそのおかげ(?)である。
最初は茨城の筑波山や大洗海岸、栃木の日光いろは坂、群馬の赤城山など、片道100km程度のドライブを楽しんでいたのでだが、徐々にそれでは物足りなくなり、夜中の東京へ首都高速を走りに行ったり、千葉の南房総や福島・山形の南東北方面、長野・山梨方面から伊豆・箱根方面まで、片道200~300km程度の道のりをまる1日かけてドライブするようになっていった。
大学3年のころには実習が一段落して、比較的出席チェックの甘い授業が続いたこともあり、放浪癖がひどくなっていった。また、同じサークルで同じような趣味を持つ仲間と、この手のドライブのことを「走り」と称して、山道や林道などの情報交換するようになったのもこのころだった。また、地図上で赤い色で表示されることの多い「国道」に興味を持ち始めたのもこのころだった。いつか全国の国道を全線走破することを目論み、まずは関東甲信越と南東北の国道を全線走破に向けて走り始めたのがこのころである。
さらに、大学に入って趣味で始めたスキーへ行くことを口実にさらに走りに精を出すようになり、年間10~15回程度のスキーをすべて日帰りで、それもできるだけいろいろな道路を走るべく毎回違うスキー場に行っていたこともあり、以降学生の間に行ったスキー場の数は約50か所にのぼることとなる。ちなみに当時は冬タイヤを持たずすべて非金属チェーンだけでスキーに行っていたのだが、これがもし冬タイヤで走っていたらどうなっていたのか、若干恐ろしいものがある。
また、長期休暇に大阪へ帰省する際には毎回車で、ただし急ぎの用がないときには毎回できるだけ違うルートを通って、走破する国道を増やしたり、「北海道一周6日間」「東北一周5日間」「中国一周5日間」「四国一周4日間」「九州一周5日間」「沖縄本島一周3日間」などと称して車中泊(一部宿泊つき)と日帰り温泉(沖縄のときは海水浴)だけの旅行にも何度か出かけた。
そのおかげで大学の6年間で、
・全国47都道府県・都道府県庁所在地踏破
・自車走行距離208,000km(=40,000km/年)
を達成することができたのだが、
・結局海外旅行に行く時間が取れなかった
というのもそのおかげ(?)である。
by anamiyan
| 2014-02-01 22:00
| 旅行